吉田一郎が語る、音楽家人生の始まりからZAZEN BOYS期、ソロ最新作まで【インタビュー新連載・匠の人】

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吉田一郎不可触世界
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その“道”のプロフェッショナルとして、様々な場所で活動しながらも、強い存在感を放っているアーティストに登場してもらう新連載「匠の人」。

初回のゲストは、約10年間在籍したZAZEN BOYSを2017年12月に脱退し、TK from 凛として時雨やももいろクローバーZ、ドレスコーズ等のサポートベーシストとして活躍しながらも、傑作『あぱんだ』以来、5年ぶりの吉田一郎不可触世界のセカンドアルバム『えぴせし』をリリースした吉田一郎。これまでの歩みやアーティストとしてのスタンス、そして、格段と洗練された歌とシンセ×ビートミュージックが堪能できる『えぴせし』について話してもらった。

――ZAZEN BOYSを抜けたときはどんなビジョンがあったんですか?

自分の作品を作るってことしか念頭になかったですね。2015年に『あぱんだ』を出した直後から、次回作に向けて作業は始めてて。でも当時は『あぱんだ』で出しきった感覚もあったんで、なかなかうまくまとまらなくて。それでバンド脱けて、そろそろちゃんと形にしなきゃなって思ってたら、「あいつフリーになったってよ」って感じで色々声かけてもらって。嬉しくてどんどんオファーを受けていったんです。

――脱退後、最初に来た話って何だったんですか?

TK from 凛として時雨で。北嶋徹(TK)から相談がありましたね。徹とは凛として時雨がファーストアルバムの『#4』を出す前からの知り合いなんです。一番思い出深いのは、愛知県の藤が丘にあるミュージックファームってライブハウスに、凛として時雨と僕が当時ベースボーカルをやってたトリオバンドで対バンしたことがあって。それが2004年。なんで細かく覚えてるかっていうと、そのときにもらったか買ったかした「Sadistic Summer TOUR 2004」って書いてある時雨のTシャツをいまだに持ってるんです(笑)。僕はそのバンドを2006年に解散して2007年にZAZENに加入するんですけど、要所要所でフェスとかで会ったりしてて。僕が2017年の12月にZAZEN辞めて、年が明けてすぐの頃にandropの内澤(崇仁)君が誘ってくれてふたりで飲むつもりで行ったら徹が来て、「わ、久々!」ってなって。そこでソロのバンドで弾いてよって話になったんです。TK from 凛として時雨もそうですけど、結局はじめましてのところから話が来てやったのはひとつもないんですよね。

――へえ。ドレスコーズやももクロもですか?

ドレスコーズは、後藤まりこにめちゃくちゃ酒癖の悪い人たちの飲みの場みたいなのに無理やり連れてかれたところで志磨遼平と知り合って。志磨っちが毛皮のマリーズの武道館解散ライブを終えたばかりの頃でしたね。ZAZENに在籍してる時期にも、ドレスコーズの『平凡』ってアルバムのベースは僕がほとんど弾いてるんですけど。ももクロは、もちろんご本人たちを知ってるわけではないですけど、ゲスの極み乙女。の川谷(絵音)君から、「一郎さん、ももクロでベース弾くのっておもしろくないですか?」っていきなりメールが来て。川谷君の友達の宗本康兵君がももクロのバンドのバンマスやってて、川谷君が俺のことをプッシュしてくれたらしいんです。なんでかはわからないんですけど(笑)。ゲスの極み乙女。のドラムのほな(・いこか)は僕にとって妹みたいな存在で。ほながやってるマイクロコズムは後輩みたいな感じなんです。2014年に、マイクロコズムが『顔』ってEPを出してるんですけど、その作詞作曲プロデュースを僕が覆面でやってるんです。実は今回のアルバムに入ってる「えぴせし」って曲は、『顔』に収録されてる「口」って曲をAメロにして、学生時代に作った曲をサビにしたんですよ(笑)。

――そうなんですね(笑)。そうやって昔からの知り合いからのオファーが積み重なっていったわけですが、ミュージシャン歴は20年くらいあるわけですもんね。

20年経っちゃうんですよね(笑)。その凛として時雨と対バンしてたトリオバンドが2006年に解散して。僕は2004年からnine days wonderのサポートもやってたんですが、nine days wonderも2006年にドラムの川崎昭とキーボードの清田敦が脱退して、ふたりはmouse on the keysを結成した。要するに、僕が演奏する場所が一気になくなったんですよ。

――その頃はもうミュージシャンとして生計を立てようと思ってたんですか?

「俺はこれでやっていくんだ」って思いこんでる感じでしたね。当時23歳で。大学卒業した新卒の年齢が22歳ってこともあって、それまでは学生気分でやれるんだってなんとなく自分の中で区切ってたのが、何年もやってたバンドが両方なくなって焦りましたね。それでメンバー探してバンド組もうとして、当時よくあったメン募のビラを100枚くらいスタジオとかライブハウスに貼って回って。「当方ベース」って書いて。でも連絡なんて全然こないんです。
当時、シンガーを探してたんです。要は自分の歌と楽曲制作に自信がなかったんでしょうね。それによってバンドでもメンバーを引っ張っていけず推進力を失って解散した感じだったので。だから7th FLOOR とか弾き語り系の人が出てるライブハウスに毎日当日券で入って、それっぽい人に片っ端から連絡先渡して「一緒にスタジオ入ろうよ」って言ってました。でもうまくいかなくて追い込まれて。
そこで、ベースを弾くことに関しては自信があったんで、ベーシストとして入れるバンドがないかなって思ったんです。そしたら今COCOBATでギターを弾いてる松澤世紀って男がいるんですけど、地元が近いっていうのもあって昔から知ってて、彼に「ZAZENのベースが辞めたから入ればいい」って言われて。でも彼はZAZENのメンバーと知り合いでもなんでもなくて、ただのファンなだけなんですけど(笑)。僕は当時ZAZENのことほぼ知らなかったんですが、自分の風体を考えるとなんかピンときて。それでとりあえず手紙書いて、音源とライブ映像も送って、合わせてみて、加入したんです。

――そこから11年間在籍されるわけですけど。

もちろんたくさん練習しましたけど、料理の世界でいうと追い回しっていうか。修行の場って感覚が僕としてはあって。また自分でやらないと、ってずっとソワソワはしてましたね。結局辞めてもずっとソワソワしてるんですけど。ものづくりに焦燥感は絶対ついてまわるんでしょうね。僕としては、『あぱんだ』の発売日からずっと焦ってましたね。「次どういうアルバムにしよう」とか、「今回いろんな人に良いって言ってもらえたけど、次のが全然良くないって言われたらどうしよう」とか。だからすぐ出したかったんですけど、結局5年空いちゃって大反省してますね。

吉田一郎不可触世界「あぱんだ」MUSIC VIDEO

■「ベースが好きだ」っていうのは小中学生のときにわかってた

――様々なところでベースを弾くことでどんな学びがありましたか?

向井(秀徳)さんのZAZENの楽曲を弾いてたってのがあるので、僕のベースに対して、バキバキの音で歪んでてエッジが効いててタイトで迫力あって、みたいに思ってくれている人が多い。だから僕へのオファーって、「じゃあ今日もバキッとお願いします」っていうのばっかなんです。早い話、難しいのばっかで(笑)。「早っ! こんな指動くわけないじゃん」みたいな。だから単純にうまくなったなって(笑)。
ももクロは去年ライブに参加させてもらっただけですけど、50~60曲練習して。去年3ヵ月くらいももクロのことばっか考えたくらいで(笑)。ヒャダインさんの曲とか怒涛のスピードなんですよ。でもそれがちゃんとルーツミュージックを感じさせて、ちゃんとファンキーだったりニューウェービーだったりする。サポートやらせてもらうまでは1曲も知らなかったけど、今は単純にファンになっちゃって。ファンって親戚のおじさんみたいな感覚になるって言いますけど、そんな感覚もありながら(笑)、裏表が全然なくてかっこいい人たちなんですごく敬意を抱いてますね。でも去年の夏、ドレスコーズとTKとももクロのサポートの時期が割と近くて。何も考えずに、全部「やります」って答えてたらスケジュールいっぱいになっちゃってて。初めて腱鞘炎になりましたね(笑)。

――でもその後すぐ、9月からソロの弾き語りツアーもやってましたよね。

だからやっぱり“サポートの人”って感覚が自分ではないんですよ。自分の曲をやってないとソワソワしちゃうんで。「スケジュール的にツアーは無理なんじゃないの?」って思っても、決めておかないと何もしなくなりそうだから無理やり入れて。何かをやりながら自分のことも両立させてないと僕は無理ですね。一生懸命練習しないとやった気がしないというか。だから、自分の作品だけに集中できる時間が1年あったとしたら、ずっとプレステとかやると思います(笑)。忙しくしてないと自分のコンプレックスが忘れられないというか。

――最初はトリオバンドのベースボーカルで、そこから約20年間様々な形でミュージシャンとして活動してきたわけで。何らかの確信があってこその20年間なのかなと思うんですが。

ああ、ベースって楽器に対して、「俺はこれが好きだ」っていうのは小中学生のときにもうわかってて。それで、高校は新宿にある私学の男子校に通ってたんですけど、高校受験までで一生分の机に向かう勉強を終えてしまった感覚があって、絶望的に高校生活がつまらなかったんです。自分でいうのもなんですけど、ペーパーテストとか、決まった枠組みの中で知識を披露することは得意で。でもそれに飽きちゃった。
そこで自分が何に向いてるか見定めなきゃなって考えてたんです。やっぱり音楽やりたいなって思って、高校半分くらい行かなくてずっと楽器弾いてて。日に日に技術を身に着けていく中で、ナルシズムとか自己肯定ではなく客観的に自分を見たときに、これを磨き続けてそこにお金が発生するっていうのは無理な話じゃないなっていう確信は高校3年生の夏休みに持ったんですね。

――そのベースへの確信に、曲を作ることと歌うことが加わっていったんですか?

いや、確信したのはベースだけなんですよ。曲作りを始めたのは、中学校のときに父親にパソコンを買ってもらってDTMでかけらを作り始めたところからなんですけど。それで結局歌いたいっていうのがあるので、歌詞もつけて。中学のときとかアコースティックギター持って駅前で安全地帯とか歌ってたんですよ。林間学校でキャンプファイヤーでギター弾いて歌ったりもして。だから歌で伝えたいっていうリビドーはあるんでしょうね。
でも20代はずっと自分の歌詞が一言一句気に入らなくて。書けども書けどもダメで。30過ぎて、いい加減かっこつけてもしょうがないしって思えたんでしょうね。曲のアレンジも、中学からためてた曲にアレンジを研鑽し過ぎてよくわかんなくなってて。でも『あぱんだ』は出したくてしょうがなかったんです。ZAZENにいながらも、ずっとソワソワしてて。それで「誰も聴いてくれないかもしれないけど、30代になったし、もういいや」って感じで出した。そしたら思いのほか評判が良くて、いまだにふわふわした夢の中の感じもあるんです。
だから、自分の作品が人に良いよねって言ってもらえた手応えは『あぱんだ』出したときなんで、20年かかってますよね(笑)。『あぱんだ』出して、宮藤官九郎さんとリハスタでばったりお会いしたときに、「一郎君CD聴いたよ! あんな曲作るんだねえ」って言ってくれたんです。それで、「意外と良い!」ってゲラゲラ笑ってたんですけど、俺自身「意外と良い」って言葉がすごくしっくりきて。お客さんも「一郎の曲意外と良いな」って反応してくれて。

――大抵の人は凄腕のベーシストだと思ってましたから、『あぱんだ』を「意外と良い」っていうのは褒め言葉だと思いますよ(笑)。

はははは。小松さんが褒めてくれて雑誌に載せてくれるらしいよってときも、結構な確信のタイミングでしたね。そうやって褒めてくれる人がいるっていうのは、自分の自信を確認する場ですよね。自信がないので。ライブもチケットが売り切れて。「俺のライブ観に来てくれてすいません。チケット代できるだけ安くします」ってスタンスですよね。


■ソロをやってなかったら生まれなかった出会いで進化できた

――それで5年ぶりの『えぴせし』がリリースされて。『あぱんだ』からの5年間は制作にはどんな影響があったと思いますか?

やっぱりTKバンドでBOBOちゃんとやったり、ももクロに呼んでもらってあの曲数でメットライフドーム2デイズ参加させてもらったりとか、ドレスコーズもそうだし、坂本真綾さんのレコーディングに呼んでもらったりとかもそうですし、すべてのいろんな人との関係値が自分の中で咀嚼されて、今回のアルバムになったなってのはすごい思いますね。
技術的な部分もやっぱり大きくて。演奏技術っていうより機材ですね。『あぱんだ』出した後に出会った人でいうと、水曜日のカンパネラのケンモチヒデフミが作るトラックってすごいと思うんですよ。なんであんなに垢抜けてる感じにできるんだろうって。何をやってもすごいキャッチーだし。去年彼が久しぶりにソロアルバムを出して、それがめちゃくちゃいいんですよ。グラミー賞とかで流れてても全然違和感ないやっていうか。ケンモチ君とは、コムアイから連絡きて対バンしようってなって知り合えたんですけど。ソロやってなかったら生まれなかった出会いで。
「どういう機材使ってるの?」とか当然訊くわけですよ。だから、このケンモチ君から教えてもらった機材買って使ってみたら超良かったみたいな現実的な話ですね。音楽作るって、すごく現実的なものでもあって。僕は上っ面だけ見ちゃう人間で、「この機材、置いてるだけであまり意味ないんでしょう」とか思っちゃうひねくれたガキだったんですけど、歳を取るごとに純粋に情報が入るようになって。それで知り合いのミュージシャンが教えてくれることも素直に聞けるようになったんですね。だから『あぱんだ』と『えぴせし』の大きく違うところって、自分が調べたものももちろんありますけど、教えてもらった情報で進化できたっていう、すごく現実的な違いがありますね。

――聴いた印象も、『あぱんだ』は混沌としたごろっとした印象があったんですけど、『えぴせし』はすごく整理されて洗練されてて。『あぱんだ』は2015年までの集大成で言わば第0章だったけど、『えぴせし』は第一章感がありますよね。

ありがとうございます。僕、高橋幸宏さんが大好きで。幸宏さんはソロアルバムの作品数が膨大なんですよね。20年間くらい大体1年に1枚出してた時期があって。そのコンスタントな活動にずっと胸を打たれてるんです。比べるのもおこがましいですけど、僕は気付いたら5年経っちゃったわけですよ(笑)。それでますます幸宏さんかっこいいなって思ったっていう(笑)。それもあって、もっと作品を出したいって気持ちが増してますね。『えぴせし』が発売されて、またソワソワ始まっちゃって。「一郎今回も良いよ」って言ってほしいし。だからまたひいひい言って、それが一生続いて、そのまま死んでいきたいですよね。

取材・文=小松香里

吉田一郎不可触世界「えぴせし」MUSIC VIDEO



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