千葉と茨城にまたがるエリア“ちばらき”で『ブラタモリ』、伊能忠敬の測量技術体験でタモリ感動のワケとは?

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『ブラタモリ』タモリ、林田理沙アナウンサー(1) (c)NHK
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町歩きの達人・タモリが、日本全国の町の新たな魅力や歴史・文化などを再発見していく番組『ブラタモリ』。2019年6月1日(土)[NHK総合 19:30〜20:15]は、「#135 “ちばらき”〜”ちばらき”は日本の要!?〜」を放送。タモリと林田理沙アナウンサーが、千葉と茨城の県境“ちばらき”を訪れる。

千葉県と茨城県が利根川をはさんで境を接するエリア“ちばらき”とは、歴史的にも文化的にもつながりが深いことから「茨城県史」にまで記載されている愛称のこと。古い歴史を誇る鹿島・香取神宮、霞ケ浦、「水郷」潮来・佐原など、北関東を代表する観光名所が集まる地域だ。そんな“ちばらき”が日本の要だったというのだが…? その謎を、タモリがブラブラ歩いて解き明かす。

▼鹿島神宮〜霞ヶ浦が支えた軍事の要

まず向かったのは茨城県の鹿島神宮。1300年以上もの歴史をもつ由緒ある神社の境内には、なぜかシカが飼育されている。そこから見えてくるのは、奈良・春日大社との結びつき。「鹿島の神様が奈良までシカに乗って移動し、都を守った」という言い伝えもあるほどだ。

さらに、奈良の都にとってここが大事な場所であったことを示すのは、本殿の向き。通常は南を向いている本殿が、ここでは北を向いているのは、東北地方で朝廷と鋭く対立していた蝦夷に備えた軍事拠点だったことを示している。必要な兵や物資は、当時、現在の2〜3倍の広さを持っていた霞ヶ浦で輸送。地の利をうまく生かし、“ちばらき”は「要の場所」になっていったのだ。

▼水郷地帯〜利根川の出現が生んだ食と輸送と娯楽の要

もうひとつ、“ちばらき”を要の地にしたのが「利根川」だ。かつて東京湾に注いでいた利根川を、徳川家康が洪水対策のため“ちばらき”に付け替えたという。ところがこれを逆手にとり、“ちばらき”の地域は日本の要となるものを次々に生み出すことになる。

まずは「水田」。利根川が運ぶ土砂で生まれた中州を、新田に開発。干満の差を利用し、中州に溝と堤防を築くことで一面の水田に。江戸の食料を支える場所へと成長していく。粘土を使った新田開発の再現実験にタモリは?

溝を掘ることでできた水路は、運搬ルートにも。遠く離れた江戸・東京にも、利根川を使って行き来が可能だったという。さらに、この水路は「観光」にも利用。のどかな田園風景が、都会の人々の癒しの場となった。水路を通り抜けると、そこには利根川の支流が。対岸には花街のある「潮来」。遊郭、神社など、さまざまな娯楽を影響する「エンターテインメントの要」でもあったのだ。

▼佐原〜利根川治水が生んだ驚異の地図

利根川水運の要衝だった街・佐原も、日本の要を生んだ場所だ。ここで商人として活躍していた伊能忠敬こそが、日本初の本格的な日本地図「大日本沿海輿地全図」を生み出した人物。伊能は、55歳を過ぎてから測量を開始、地球一周に相当する距離を歩き、日本地図のベースを作っていく。

きわめて精緻な測量技術が培われた理由もまた、“ちばらき”の地形にあり。利根川の氾濫に備えて、地域のリーダーだった伊能は、自ら測量技術を身につけ、この経験が後年の全国の測量につながっていったのだ。タモリも当時の測量器具を使ってみることに。その大変さを実感する。

■番組公式サイト

https://www.nhk.or.jp/buratamori/

(C)NHK

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